何のためらいもないよ。
梅雨の晴れ間です。サルビア,マリーゴールド。みんなで何を植えようか?そんな相談をしました。ぼくは何の指示も出しませんが,お子様の言葉は出てきます。「スコップが必要だね」「じょろを持って来るよ」「苗はわたしが運ぶね」「ホースが必要じゃない?」etc.
根が張ったサルビア。なかなかポッドから抜けません「ほら,こうしたら?」「そだね,ありがと!」人の為になる行いをするのに,何のためらいも要りません。サルビアやマリーゴールドはきっと美しい花を咲かせることでしょう。でも,この瞬間も,美しいと思えるのです。
こちらはアサガオの観察ですか?「はい,アサガオにね,葉っぱが40こも付いていたんだよ」そうか,40まいね!と,さらりと言い換える先生。流石です。
地べたにお尻を付けてまで見る!観察するのに何のためらいも無いんです。お子様というのは。そういった行動は,才能でしかない「夢中力(むちゅうりょく=造語)」。大人になっても,ずっとその才能,もっていてね!そういうあなたを,ぼくはずっと見ていたいと思います。
何かを作り始めましたよね。そりゃあ,作ります。造ります,創ります。
想像力の発揮を,集団の中で求められます。そしてどのお子様も,言葉を使うことに何のためらいもありません。「お池作ろうよ!」「いいね!やろう」「どのぐらい掘ろうか?」「お水,どのくらいいる?」そうです。お池を作ることも,人として生きるための大切な学びなんです。
一つの学級が植えると,次から次へとお花が植えられていきました。この学年も。
この学年も。あの学年も。
一番最初に植えた僕たちも,さあ記念撮影をし,,,え?もうシャッター切っちゃったんですか!?F先生,シャッターを切るのにためらいが無さ過ぎます。
大丈夫です。まだまだお花,準備しています。たくさんの苗,あります!お子様の笑顔を見るために。